2017年4月23日日曜日

昨日は、あいにく時間帯が重なった2つのイベにそれぞれ参加してきました。
テーマはどちらも「まちづくり
片や「市民提案型まちづくりチャレンジ事業公開プレゼンテーション」
片や「地域づくり講演会」

冒頭から感じた違和感。…



前者の、市民提案型まちづくり…のプレゼンでは、数々のチャレンジ事業(者)があることを改めて実感(再発見)しました。
皆さん(各任意団体や任意の会)の活動(存在)趣旨や活動(事業)計画・事業報告などを熱心にパワーポイントを使いプレゼンテーションしています。
しかし残念ながらデータや資料・画像の羅列とお題目だけで、
本来の目的である「まちづくり(のための活動)(の意味)」が何故か?みえてこないのです。
真剣に取り組んでる意欲(熱意)は感じられるのですが今一つピンとこない。
何なんだろう…?と私なりに考えてみますと、本来まちづくりによる受益者であるはずの「地域住民」(まちにすむひと)の顔や姿が見えないのです。
例えば「地域の特産物を使った」「商品開発」やそれに伴う地域住民の協働とその場所の提供・機会の提供をお話しされるのですが、
それってホントに「まちづくり」なのでしょうか?
(チャレンジ事業選考委員会の先生がたからもソコには指摘がありましたね)

商品開発は一事業として事業主が行えば良い話だと思いますし、市の税金を投入する話でもないと思えます。
また「名産品」を作っても「まちにすむひと」には直接的に還元されることはないと思えるし、あるとしても一部の人たちではないでしょうか?。
全ての「まちにすむひと」の利益(満足)を求めることは出来ないにしろ少なくとも共感を得ることが出来なければ「まちづくり」事業としては成り立たないでしょう。

まちづくり」って行政(の都合)や企業(の思惑)や思い入れ(自己満足)のある方々のためにやることじゃない、と思うのです。
(これは私が過去に活動してきたNPO団体や障がい者支援の活動で学んだこと)

多くの行政や企業が実施しているインバウンドや観光・誘致、B級グルメはじめ名産品や素材を活かしたモノづくり、それらを活用する施設などの箱物づくり、何かと問題のあるふるさと納税、今在る遺産や文化財保護などなど…やはり視点が「まちにすむひと」を向いていません。外向きなのです。
が、私が否定的に書いたこと思うことすべてが悪いとは言ってません。
それはそれで有効に活用すればいいだけの話であります。
海外やほかの地域から沢山の方々が訪れ、そして対価(お金ですね)が地域に落ちれば経済的には潤いますのでとても良いことです。
それを如何に「まちにすむひと」にいきわたらせるか?…そのシステム構築が不十分ですと地域住民の理解や協力・支援は得られないのではないでしょうか?
あえて内向きに考えることも…「まちづくり」には大切なことではないでしょうか?

その答えは明確ではないですが、後者の講演会に垣間見えるような気がします。

さて後者の、「二地区居住」のNPO団体代表の方の後援会では比較的まったりとしたプレゼン。
プレゼンといっても特に難し話はなく、何故この片田舎へ越してきたか?何が良いのか?それをどのように具体的に発信してきたのか?
ありがちな地域の自然や環境・食材や良いところばかりを発信してきたのではないと感じました。
何もないところ・不便なところ・嫌なところ…実際は住んでみると沢山あるのですがそんな思い(良し悪し)を全て「ひとくくり」にし都心での生活と比較対照し自身は何を求めているのか?何が豊かなのか?を問いかけるプレゼンでもありました。
都会と田舎の二重生活の中で、無くなるもの(都会で無くしてしまうもの)と、豊かに残っているもの(無常ではあるが)への想い。
そんなお話に共鳴する参加者はおられたのではないでしょうか?
見る視点が違うとやるべきことが見えてくる・・・私が言うまでもなく皆さんご承知でしょうが何かを始める、実行することは容易ではありません。
でも強い意志があればいずれは叶うことは可能であると思いますし、それは未知数です。
そうです!やるべきことは目の前のソコにあるのです。まず行動しましょう!

そして何より「他力本願」ではないこと。
(移住者に過度に期待する、行政に頼る、など)
これは重要であり最低限の「まちにすむひと」の責任であり義務でもあるでしょう。
これを失ってしまった地域では再生はないと思った方が良いです。
太古の昔から「ムラ(地域のコミュニティ)」は「まちにすむひと」の想いと行動で培ってきたものなのですから。

この地域に住める喜びを…再発見し、それをいかに次世代に継承していかなければならないかを考えさせられました。(わたしのようなよそ者の移住者がいうのもなんですが)

前述した、いわゆる地域おこしと、私が啓発している町の安全…どちらにも類似性・関連性があるのではないかと思うのです。
それは「まちをみること」「まちにすむひと」をみること。…ではないでしょうか?


ちと哲学的(?)な話にはなりましたけど(普遍的な答えのない、出ない事への考え)
今日の公開プレゼンテーションでの違和感から、私なりに類推する「疲弊していると思われる地域のこれからの在り方」を、徒然と書き連ねてみました。

防犯アドバイザー
Abarth@JCP














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